今回は、ちょっとまじめな話を。
家庭教師歴も含め、塾講師という仕事柄
様々な家庭の様々な子供たちを教えてきたが、
細かいことは抜きにした基本的なところにおいては、
自称「教育熱心な親」の子供ほど、
勉強の出来ない子供が多い。
そういうところの子供は、
単純な計算問題や漢字の問題は確かに良くできる。
しかし、これが文章題となると、
途端に出来なくなる子供が多いのだ。
例えば、小学生の高学年で、
3桁の掛け算がすらすら解けたりする子が、
単純な文章題、『一個80円のリンゴを6個買い、
100円の箱に入れてもらいました。
合わせていくらになるでしょう。』というような問題を、
「80たす6かけ100」というような式を、
平気で作ってしまうことがよくある。
今まで、多くのいわゆる「出来ない生徒」というのを見てきたが、
そういう子でも、設定をお金の問題に変えて見ると、
意外とすんなり理解したりするものだ。
例えば、1000mのところを1000円に置き換えてみると、
すぐに式が立てられたりする。
なぜなら、どんな子でも大抵お金には興味があるし、
自分でお金を使ってお菓子を買ったりしているから、
実体験があるし、数字を実感しやすいからである。
だが、これが当てはまらない子供がたまにいる。
そういう子には、「お小遣い、もらっていないでしょ?」
と尋ねると、「うん。」と必ず言う。
つまり、自分でお金を使って買い物をしたり、
お金を貯めて欲しい物を購入したりと言った
普通の子供なら誰でもしている経験がないために、
お金に対する実感が無く、
買い物に関する単純な問題の解き方が分からないのである。
そして、こういった子供の親は、
ほぼ『自称教育熱心な親』たちなのである。
「うちは子供に小遣いを与えて買い食いさせたりはしていません」
と自慢げに語ったりするのである。
馬鹿丸出しである。
文章題に限ったわけではないが、
世の中の学問は全て、
実生活に何らかの関係がある物である。
そういった身の回りの物事に対する
実体験や興味、関心が全ての学問の基礎になってる
ということは、言うまでもない。
しかし、こういった親たちは、
自分の子供を完全に自分の管理下に置いて、
勉強やお稽古事に集中させようとして、
かえって子供たちを身の回りの物事から
遮断させていようとしている、としか思えない。
買い物をさせたことがないのに、
買い物の文章題が解けるわけがない。
友達と一緒に遊ばせたことがないのに、
友達とお菓子を分け合う文章題が解けるわけがない。
小学校の算数の問題に、
おはじきの問題や買い物の問題が多いのは、
それが子供にとって、一番実感出来る身の回りの数字だからだが、
親に管理されきった子供にとっては、
それがかえって実感出来ない数字になっているのだ。
考えてみれば、
自分たちが子供の頃は、
一日のお小遣い100円をもらったら、
まずしばらくその使い道を考えていたはずだ。
「チロルを買ったら10個かえるけど、
30円のおいしいチョコ買ったら3個しか買えないなぁ。
ビックリマンはおいしいけど50円じゃ残り半分だし。
仕方ないから残りは5円のひも付き飴か」という風に。
これは計算力の発達に非常に役立っていたと思う。
思うに、子供は経験値の非常に少ない状態であるので、
まずは様々な経験値を積ませることが大切なのだと思う。
それは、親から与えられる物ではなく、
日々の生活の中で、友人とのつきあいや、
遊びの中から見つけられる物が多いと思う。
そうした経験を積む中で、様々な興味が生まれてくるものだ。
そして、その興味の中に、勉強も関連付けられていけば
自然と勉強は伸びてくる。
よく、学校の勉強は全然出来ないが、
ポケモンは全部言えるような子がいるが、
そのポケモンの名前に対する記憶力を、
英単語に換えればその子は英語は出来るようになる、
はずである(まぁそこが一番難しいが)。
ただ、言えるのは、生徒に知識は教えることは出来るが、
興味や関心は教えられないのである。
興味や関心はその子自身が育まなければならないからである。
そして、その興味関心は、その子自身が実体験しなければ
生まれてこないと言うことだと思う。
とにかく言いたいことは、
「子供には少しで良いからお小遣いを与えよ」
ということである。
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